明日世界が終わるとしたら


2012年12月21日に人類は滅亡する・・・

紀元300~900年頃ユカタン半島(地図をご参照ください)に栄えたマヤ文明の遺した暦が、2012年12月21日以降ぷっつり途絶えていることから、まことしやかにささやかれている話です。

マヤ文明は天文学や建築など高度に発達した文明を持っていたと考えられており、そのことがより一層この話の信ぴょう性を増しています。

どうせ滅亡するのだからと、仕事を辞めてしまった人も世の中にはいるんだとか。

大きな地図で見る

そういえば、少し前にはその名もずばり「2012」という映画も公開されていましたね。(個人的にはあまり面白いとは思いませんでした。)

また思い返せば僕が子供のころは「ノストラダムスの大予言」ブーム(?)で、1999年7の月に人類は滅亡していたはずなのに、2012年の今も元気でぴんぴんしています。

さて、そんな小さいころの経験もあり、今回のマヤ歴人類滅亡説もふふんと鼻で笑っていたのですが、僕の住むここホーチミンでは、どうも一笑に付すわけにはいかない空気になってきているのです。

人類最後の日は家族と過ごしたい

ベトナム人スタッフが神妙な面持ちで僕のところにやってきました。
「明日の午後から休みをもらえませんか?実家に帰りたいんです」

なんで?と理由を尋ねたところ。

「明後日が地球最後の日になるかもしれないんです。何があるか分からないので、家族と過ごしたいんです。」

なに冗談言ってんの、あんたマヤ文明と関係ないでしょが・・と思ったら、本人は至って真剣です。

あまりに真剣なので、やるべき仕事をちゃんと片づけるという条件付きでお暇を出しました。
生きていたらまた会いましょう。

やれやれ、困ったヤツだと思っていたら、自宅兼オフィスの前の氷屋のおばちゃんが声をかけてきて、一言。

「食料を買っておきなさい」

なんで?と聞いたところ。

「この辺りの店は全部閉まっちゃうよ。」

とのこと。

氷屋のおばちゃんの旦那さん

なんと・・。

この話は別に我が家の周りだけではない様で、他のベトナム在住仲間からもスタッフから休みの申請を受けただのと同様の話を聞いたのです。

ううむ。。。

人類滅亡説を信じたわけではないですが、ふともし本当に明日が最後の一日だとしたら・・・とつい考えてしまいました。

もし、明日世界が終わるとしたら。

そんな想像、普段なかなかしませんが、12月21日に何かあるかもしれないと信じている人たちは、リアルに自分の最後の日を想像しているんだろうなと。

もし、明日世界が終わるとしたら。

折角なので、茶化してばかりいないで、いつか訪れる最後の日について、考えてみるのも良いかもしれないなと思い始めました。

明日死ぬつもりで生きなさい。
永遠に生きるつもりで学びなさい。

幸いなことに、これまで大きな怪我や病気をすることもなく、日々生きてきました。
今も、自分がやりたいことに向かって、ワクワクする毎日を送れていると思っています。

しかし、当たり前のことを忘れていたなと、今回のことで気づきました。

あまりにも月並みで、あまりにも当然だし、単純明快ですが・・・

この人生の延長に必ず「死」が待っているということです。

どういう形で現れるか分かりません。
それこそ12月21日に地球がパカッと割れて、「はい、おしまい」かもしれません。
あるいは病に侵され、徐々に体が弱っていくかもしれません。

3.11の震災では、突然、なんの前触れもなく、多くの方が亡くなりました。
僕の母方の故郷、釜石も壊滅的な被害を受けました。

岩手県釜石市、震災から4か月後の様子

明日死ぬことは(もっと言えば、すぐ次の瞬間に命を落とすことは)、誰にでも、いつでも起こり得ることです。

何を今さら当たり前の事を、と思われるでしょう。
でもその当たり前のことに意識を向ける事が普段あるでしょうか?

日本をはじめとする多くの国々は都市化を進める中で、老・病・死といったものを日常から遠ざけ、分断してきました。
そして、あたかも明日が来ることが当たり前のように見える世界を作り上げてきました。
仏教で生老病死は四苦と呼ばれるように、誰しもが不可避であり、それでいて(だからこそ)目をそむけたくなる現実ですから。

オンラインだろうが、オフラインだろうが今や見たくもないものは見ないでも暮らせる世界です。
見ない様に意識する必要すらありません。
普段から意識しろというのが土台無理な話です。

ただ、ちょうどよく(?)、マヤの人類滅亡説のXデイを迎えるこの時に、普段は考えない、いつもは目をそらしている、自分の人生の最後の日について、考えてみるというのはどうでしょうか?

明日世界が終るとしたら?

誰と、どこで、何をして過ごすでしょうか。
これまでの人生をふり返って、自分が今までやってこれたこと、やれなかったことに想いを馳せるかもしれません。

キューブラー・ロスの死の過程※をのんびりと辿っている時間はありません。
何せ、もう明日世界が終わるのですから。
※「死ぬ瞬間 -死とその過程について

日々の生活では無意識に目をそむけている現実に立ち向かって、くっきりと最後の日をイメージしてみると、普段見えなくなってしまっているコトが、見えてくるかもしれません。

生と死が混在するガンガー(ガンジス川)

“明日死ぬつもりで活きなさい。永遠に生きるつもりで学びなさい。(マハトマ・ガンジー)”

それではみなさん、生きていたらまたどこかでお会いしましょう。

年末どころか終末が近いホーチミンより。

小原

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2012/12/22追記:

地球、終わりませんでしたね。
これからもよろしくお願いします。

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