映画「バベルの学校」レビュー


東京オフィスの舟之川です。先日「バベルの学校」という映画を観ました。

バベルの学校

 アイルランド、セネガル、ブラジル、モロッコ、中国など多様なバックグラウンドを持つ11歳〜15歳の20国籍、24人の子どもたちが、公立中学校内に設置された「適応クラス」でフランス語のトレーニングを受ける。彼ら、彼女らを取り巻く様々なボーダーを越え、絆を深めていく過程を丹念に追ったドキュメンタリー。
 
人種や言語、文化、宗教だけではなく、一人ひとりが抱える家庭や生い立ち、学力の問題も次第に透けて見えてくる。「多様性を受け入れる」などという、耳をすり抜けそうな言葉では表現できない、圧倒的な違いが見せつけられる。ここまで違うと共通点を見出すことのほうが難しい。
 
最初はお互いの違いを気にする場面もあった子どもたちが、背景は違っていても、共に感じることや希望を持つことに喜びがあることに気づく。先生に対話を促されながら、必死に取り組み、次第に「目の前のその人」をそのままとらえていく姿が胸を打つ。理解と共感を自ら態度で示し、子どもたちを大きな愛で包む先生のあり方は、これからの世界で求められる人物像だろう。
 
日本に生まれ、日本国籍の日本人として暮らしていると、一見他者と差がないよう勘違いしてしまう。同じように扱われ、振舞ってきたがために、少しの差も気になり、それがいじめや諍いの種になることもある。パリの適応クラスの外でも、日々多くの事件や紛争が起こっている。そのことはたぶん敢えて描かれない。葛藤や対立を解いていく手段はある。そのことに今真剣に向き合うようにと、この映画はわたしたちに促しているように思える。
 
海外となんらかの関わりをもったことのある方なら当たり前だろうが、わたしの場合は、多様性について一番意識的になったのは、20代の半ばと遅かった。ドイツの語学学校で、10代から40代まで、ドイツに来た動機もみんなバラバラな中に飛び込んでみた。共通しているのはドイツ語を学んでいることぐらい。当然、みんな自己主張が激しい(映画と同じように、アジア系の生徒は大人しかったが)。それまでも海外渡航は何度もしていたが、自分の意見を言わなければ場にいられないような危機を感じたのはこのときが生まれて初めてで、強い衝撃を受けた。自分の常識は全く常識ではなかったことに気づいた。
 
わたしは昨年から、複数人で映画を一緒に観て、感想を話す「Film Picnic」という活動を個人的に行っている。これもまた多様な視点からの意見が出る場で、毎回個性というものの素晴らしさを認識する。一人で観ているだけでは感じたことが流れてしまいがちだが、言語化することや、別の誰かの感想から視野が広がる。映画鑑賞がより深い「体験」として自分の中に落ちる。
 
願わくば我が子には、なるべく早いうちにこのような環境を体験させてやりたい。常に今の環境だけが全てではないこと、多様な人が生きている実感、これが世界なんだということを、親の経験から伝えてやれたらと思う。
————–

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>