哲学者・内山節氏を囲む会「生きる世界の再建のために」に参加して考えたこと 〜哲学から実践へ〜


こんにちは、丑田です。
いよいよ夏真っ盛り。今月上旬、猛暑を逃れて長野県の栂池高原に集まり、哲学者・内山節氏を囲む会に参加してきました。
とても多くの学びがあり、今後自分が取り組んでいく内容にも直結してくるテーマだったので、まとめと所感を書き留めておこうと思います。

■「世界」とは何か?

「世界」という言葉を聞いた時、どんなことを想像するだろうか?
アメリカ、ヨーロッパ、中国、ベトナム・・・人によって場所は異なると思うけれど、「地図上の世界」をイメージする場合が多いのではないか。
そして、このような「地図上の世界」を語る時は、「アメリカの政治」とか「ベトナムの経済」のように、様々な要素に分割して取り上げることが多いと思う。

これに対して、もともと「世界」とは、「生きる世界」を指していたと内山氏は説く。
「生きる世界」は、自分たちが生活・暮らしたりする身近な世界のことであり、自分ごととして捉えられる範囲の世界のことである。
これは自分だけの世界ではなくて、共同体(コミュニティ)が共有しているものでもあるため、「関係の世界」といってもよく、自然との関係や他者との関係、そこから生まれた文化や歴史、日本においてはさらに死者をも含んだものだったりもする。
この「生きる世界」においては、様々な要素を分断せずに全てひっくるめて初めて世界が成り立ってくるもので、各要素も明確に区切れないものが多い。
近代化の過程でこれらは壊れていき、「世界」は、次第に「地図上の世界」となっていった。

内山氏によると、ものごとを語ったり参加する時に、「地図上の世界」のままだと、
・中々自分ごとになりきらない(身近に感じない)
・様々な要素に分割されることで全体性が遠のいていき、問題も解決されにくい
状態に入っていってしまうという。(これを「遠逃現象」と呼ぶ)
確かに、日本の原発問題、とか、日本の教育問題・政治問題、と捉えても、多くの人にとっては身近なものになりきらないし、解決の糸口もつかみにくくなってくるように思う。

このような背景から、いかに「生きる世界」を取り戻していくか、という大きな問いに入っていく。

■「人々」という概念は最近できたばかり

実は、「人々」=”ひとまとめにされた人間たち”という概念は、明治に入り国家が誕生した際に生まれたという。
日清戦争・日露戦争で一致団結して国家が一つになり、「国民」という人々、「市民」という人々、「労働者」という人々が生まれていった。それぞれの「生きる世界」(関係の世界)を持っていた人間から、次第に「人々」になっていったという。(ちなみに、「社会」や「自然」という言葉も明治期にできた言葉らしい!)

ここで面白いのが、一見相反するような「近代的個人」の誕生と、個人の「人々」化が同時に起こったということ。
生きる世界(関係の世界)がなくなり「個人」化することで、皆自分とは何者か?を考えるようになったけれど、次第に自分探しのスパイラルに陥っていき、終いには自ら「人々」の群れの中に入っていってしまう、という流れ。
ここで内山氏は、「関係性自己」という視点を挙げる。これは、「自己の実態は関係の中にある」というもの。
他者や共同体、自然等との関係の中に自己があり、実態が自己の内部にあるというのは錯覚であるという。

「人々」化しないためには、色々なものと関係を結んでいく・関係の中で生きていく、ということが重要で、前段と同様、いかに「生きる世界」を取り戻していくか、という問いにぶつかっていく。

■「生きる世界」がなくなるとどうなる?!

このように、近代化以降の日本は「生きる世界」を遠ざけながら、貨幣・市場経済や巨大な社会システムで代替していく、という流れで進んできたといえる。日本の都市人口も、2割から8割に急上昇していった。
では、「生きる世界」がなくなるとどうなっていくのだろうか?
この問いに関して、まず、
「高度経済成長期は、個(≒人々)として生きていくことが可能な、長い歴史の中では極めて稀な時代であった」
という話に。
暮らしに必要な物は貨幣で買う。共同体は特に必要なくて、稼ぎは機能分化してある程度代替可能な役割で賄う。
この構図は稼ぎ・貨幣経済に依存した形で、市場が成長していく限りにおいてはハッピーを謳歌できる。
でも、市場が成熟したり、グローバル化やIT化が進むと、稼ぎが危うくなったり、昇給しないとかいつクビになるかという不安、自分は本当にこの仕事をしているのがよいのかというもやもや感に囲まれるようになってくる。ある程度代替可能な役割、である限り。

ネガティブなシナリオでは、関係の世界が壊れて個に細分化されて行くと、他者も自然も”自分ごと”ではなくなってきて、環境や貧困・格差・文化継承の問題なども根本的に解決されないまま、歯止めの効かない個々人の欲望が増幅していってしまうかもしれない。
この流れを全世界で推し進めていくのがハッピーな未来かというと、どうもあまり明るい感じはしない。

ウルグアイのムヒカ大統領が昨年のリオ会議でスピーチしたように、
 「ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか?」
 「私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?」
 「根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだ」
という話はまさにこのことをストレートに指摘しているし、「生きる世界」の再建の重要性を訴えているように思う。

■「生きる世界」の再建って、実際どうやったら進んでいくのだろうか?

では、「生きる世界」の再建のためにはどうすればよいのだろうか?
経済が成熟し、もやもや感や様々な社会課題が渦巻くこの日本から、その一歩を踏み出していけたらと思う。きっとその取り組みは、世界にとっても意義あるものになっていくはず。
哲学・思想の領域から、実行できる領域に落としこんでいくためのアイデアを絞り出し、実践していきたい。

以前の記事「ビジネスとかイノベーション云々以前の、生きるために必要な「つながり」」でも近いことを書いたが、今回はもう一歩具体的に考えてみる。

【1】住んでいるまちを自分ごととして捉え、参加することにハマる人が増える

「生きる世界」を取り戻すための第一歩は、”自分ごと”の範囲を広げてみること。
地域のイベントやお祭りに参加してみる、地元や知人の食材を買ってみる、というところから始めて、まちの課題を自分たちで解決していく「フューチャーセンター」をつくる・参加するなどもよいと思う。
これらの活動は、時に貨幣・実利が介在しなかったり、合理性を超えていたり、金銭的価値以上の価値が生まれてきたりするのが特徴で、ビジネス界にどっぷりな人ほど、その面白さを一度体感すればハマる人が増えていくんじゃないだろうか。
さらに一石二鳥で、なんとなく住んできた・生まれた”まちの宝”を発見する作業にもなる。

そんなこんなで、今住んでいるまちでも、生まれ故郷でも、一目惚れしたまちでも、なんでも良いので、ここでしっかりと「生きる世界」を持つのもいいな!と思い始める人が増えれば第一関門突破だ。

【2】「生きる世界」を持ちながら、そこでしっかりと稼げる人が増える

しかし実際には「やってみたいけど、仕事はどうしよう・・・」という人は多いと思う。
大都市近郊のまちであれば都市で出稼ぎというパターンが成り立つが、全てのまちでできるわけではない(ネットで物理的な制約を越える、のも一つではある)。
そこで、「まちに住みながら、まちの宝・資源を価値の源泉として稼ぐ」ことのできる人が増えていけば、「おぉ、頑張ればできるのか!」という意識が広まっていくはずである。

高度経済成長時代は、比較的、地方にいても公共事業や大手企業の下請けで稼ぐことができてきたこともあり、まちの宝を掘り起こすことをそこまでしてこなかったし、そこに誇りや自信を持つこともあまりなくなってきた。
「これまでの数十年はたまたま運が良かっただけ」と開き直って、資本主義もビジネス視点も外部のリソースも貪欲に活用しながら”たくましく”稼ぐ姿勢を持つことで、結構変わるような気がする。
この”たくましさ”は、「生きる世界」というセーフティーネット(何度か失敗しても、自分たちが食っていく分はつくったり分かち合って乗り越えるぜ!)を持っているからこそ発揮できるように感じる。
結果として、一人ひとりが「生き方は自分たちで創ることができる(生き方の自給自足)」という自信を取り戻していけたらと思う。

【3】カッコイイ大人たちの背中を見て、子どもたちが育つ。教育も自ずから変わる

まちを愛し、自分ごととして向き合い、しかもちゃんと必要な分を稼ぐ。まちの次世代を育てる活動=教育にも自分ごととして参画する。そんな大人が増えたら、子どもたちも「カッチョイイ!」と思うようになるはず。
こうして、自ずから教育も変わってゆき、まちの担い手になる若者が育ち、「「生きる世界」を持ちながらもそこでしっかりと稼げる」ような生き方が連鎖していく。
ローカルの文化や歴史を受け継ぎながら、経済的にも持続可能なまちになっていく・・・理想像だけれど、じわじわとそうなっていったら最高だ。

■最後に

そんな刺激に満ちた長野の夜。”他の「世界」との関わり”について語り合っている中で、

  • 自分たちの「生きる世界」を持っている人は、他の「世界」への想像力と敬意を持つことができる

という話になった。
確かにそうだなぁと感じる一方で、これは完全に閉じた「世界」では実現できず、

  • 他の「世界」との交流・交易・共創の機会があることで生まれてくる

ものだと思う。
僕達が取り組んできたTrans-local(Local to Local)、Co-creative Learning、というキーワードもここに投入していけたらと思っている。

前章で書いた【1】〜【3】、そして「他の世界との関わり」を実践していくことを、9月よりはじまる第4期からのマイテーマとしていこうと企んでいる。日本のまちから。
(詳細は近々発表させていただきます!乞うご期待!)

丑田俊輔

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