ビジネスとかイノベーション云々以前の、生きるために必要な「つながり」


こんにちは、丑田です。
とあるキッカケから、「生きる上で必要な「つながり」」について改めて考える機会があり、記事にまとめてみました。

■「つながり」ブーム

個の時代が進行し、血縁・地縁・職縁など、さまざまな「つながり」が希薄化してきた、と言われて久しい。
これらのつながりに頼らなくても、衣食住を満たして生きていけるようになった(と思った)から。
煩わしい家族のつながりや地域のつながりを自ら手放し、個々の力で生き抜くことがスゴイとされてきた。

でも、あらゆるつながりが壊れた状態では、生きていけないことに気がつき始めた。ここから様々な社会問題が生まれてきたし、ビジネスや課題解決上の限界も露呈してきたからだ。
既存のつながりを再構築するのか、新しい形でつくっていくのか。個人、家庭、地域、組織、様々なレイヤーでこの問いが勃発している。

そんな中で、「つながり」の重要性も再認識され、これをテーマにした分析・論考も改めて話題を呼んできている。

例えば、古いものも新しいものもごちゃ混ぜではあるが、

  • マーク・グラノヴェッター(社会学者)の「弱い紐帯の強み」”The strength of weak ties” (緊密な社会的繋がりを持つ人より、弱い社会的繋がりを持つ人の方が、自分にとって新規性のある情報をもたらしてくれる可能性が高い)
  • リンダ・グラットン(経営組織論教授)の「ワーク・シフト」の中で提唱される「未来に必要となる三種類の人的ネットワーク」 (変化する世の中において、ボッセ、ビックアイデア・クラウド、自己再生のコミュニティの3つの人的ネットワークを持つ事が重要)
  • レイチェル・ボッツマン(イノベーション・コンサルタント)の「シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略」 (シェアリング・エコノミーの台頭、ビジネスモデルの変化について)
  • ニコラス・A・クリスタキス(医学博士、学術博士) 「つながり 社会的ネットワークの驚くべき力」 (つながりが、個々人の行動や感情に及ぼす影響を分析)

などなど。

多くの場合、これらが登場する文脈は、「実利・目的志向」的な位置付けで語られることが多いように思う。
例えば、

  • 社内外に色んなつながりをつくった方が、ビジネス成長、アイデア発想に役立つ
  • ネットで仲間を集めて、みんなで買えば安くなる

といった具合に。

また、地域コミュニティ・地域活性の文脈では、
「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」
について語られることも多いけれど、一人ひとりが「生きる」という視点からの話は中々向き合うことが少ないように思う。

少なくとも、自分はそうだった。
最近、シアトルで家族について語り合ったり、家族・親戚と深く話し合う機会があり、「生きる上で必要な「つながり」」という視点から、改めて考えるようになった。

■生きる上で必要な「つながり」

上で書いてきたようなつながりはとても重要だけれど、でも、「生きる」上ですべてのベースとして本当に不可欠なのは、
「大きなトラブルがあった時でさえも、実利を越えて、自分ごととして引き受けてくれる、強い繋がり」なんじゃないか。
この土台がしっかりしていないと、逆ピラミッドのように、極めて倒れやすくなってしまう。ダルシムのスライディング一発でこけてしまう。
ビジネスとか、イノベーション云々以前に、一人ひとりがしっかりと向き合う必要があることなんだと思う。

ネットやリアルのコミュニティでも、気軽に会話・相談したり、ソーシャルメディアのタイムラインで情報共有することはできるけれど、
果たして、「責任を引き受ける」レベルのつながりはどのくらいあるだろうか。
または、自分が「他の誰かに起きた事を、自分ごととして引き受けた」ことはどのくらいあるだろうか。改めて自分に問いかけてみたい。

元々は、家族・親戚(血縁)がこの役割を担っていたし、深さの差はあれ、地域のつながり(地縁)もその役割を担っていた。今も変わらないが、夫婦・親友、という存在もそうだと思う。
実利や目的を越えて、「たまたま同じ家・土地に生まれ育った」「なんとなく気が合う・好き」という、非論理的・本能的なつながりでもある。(ぐっと引いてみると、生存する”目的”、ともいえる)
これらの深いつながりで一致団結していかないと生き残れなかったところが、つながりに頼らなくても衣食住を満たして生きていけるようになったので、徐々に解体されていく。
「責任を引き受ける」という側面が薄くなり、形式だけの冠婚葬祭や地域行事が残る。形式だけのつながりは煩わしさに変わる。
論理的に説明しやすい、実利・目的志向のつながりが脚光を浴びるものの、非論理的・本能的な強いつながりは平時には意識する機会が少なくなる。
結果、いつの間にか「孤独」な状態を生み出し、非常時・ストレス・環境変化に極めて脆弱な社会になっていく。

■強い「つながり」をいかに再構築していくか?

そんな強い「つながり」をしっかりと持っていくために、「既存のつながりを再構築する」のか、「新しい形でつくっていく」のか
手段は、どちらでも良いんだと思う。

既存のつながりを見直す上で、

  • 家族や親戚との関係を、改めて見つめ直してみる。改めて深く対話してみる
  • 自分の住む土地を、改めて見つめ直してみる。守り、残したいものは何かを考える。自分ごととして、より良くしていくことに参画してみる

といったアクションは、強くオススメしたい。

そして、

  • 既存の家族・今いる地域・場所の枠を越えて考えてみる

のも一つの道だと思う。既存のものを見つめ直す、といっても、中々に難しい場合だってあるからだ。

岡田斗司夫氏の提唱する「拡張型家族」、欧米でみられる「God Parents」(親に何かあった場合の第二の親)的考え方、ゆかりのない場所に移住する「Iターン」。
先日訪れた”The Share”というシェアハウスでは、同居人達が家族のような関係を築いていたのも印象的だった。

きっと、色々な形があるはずだ。

読んで頂いた皆様も、是非この機会に、「生きる上で必要な「つながり」」について改めて考えてみて欲しい。

追伸:
上映中の「レ・ミゼラブル」の映画も、本テーマに関連して、ものすごくオススメ!

丑田俊輔

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